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①スサノオと牛頭天王 | 下に目次がなかったり開ききっていない 場合は「f5」キーを押してください。 |
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第一章6-2で、天武天皇はスサノオノミコトがアマテラスオオミカミに献上した草薙剣に祟られた、と『紀』に記されたことを述べました。そしてその文章の裏には、天武天皇は本来草薙剣に祟られるはずでなかった、という意味があったと解釈できます。 スサノオノミコトは『紀』で素戔鳴尊、素戔男尊、『記』ではタケハヤを加えられた建速須佐之男命、須佐乃袁尊と記されます。聖武天皇に献上された(733年)とされる『出雲国風土記』(写本)でのスサノオは、神(かむ)須佐能袁命、須佐能乎命です。
ところで、スサノオを祭神にする全国の神社の総本社が、京都の八坂神社(旧、感神院祇園社)です。東間に八岐大蛇の生贄になるのを助けて妻にした奇稲田姫(くしなだひめ)、西間に二人の間に生まれた八柱御子神(やはしらのみこがみ)が祀られています。しかしこれは明治期に神仏の統合整理が行われた以降であり、それ以前は中の座に牛頭(ごづ)天王・西の座に后で歳徳神(としとくじん。恵方神)とされる頗梨采女(はりさいじょ)・東の座に八王子(八将神)が祀られていました。 牛頭天王信仰に深くかかわっているのが「蘇民将来」(そみんしょうらい)という伝承で、『釈日本紀』(鎌倉時代)に引用された『備後国風土記』(逸文)によると、「北の海の神武塔神(むとうしん)が南への旅の途中で日が暮れたために、裕福な巨丹(こたん)将来に宿を求めたが断られ、その兄で貧乏な蘇民将来は粟飯でもてなした。その後蘇民将来のもとに武塔神が現れて、昔の報いをすると言って、巨丹将来の妻になっていた蘇民将来の娘に、茅の輪を腰の上に着けるように伝えた。その夜、蘇民将来と娘を残して一家を滅ぼし、吾はスサノオだと言い残した」という話です。 牛頭天王は祇園精舎(インド。釈迦の生地)の守護神であり、祇園社(八坂神社)の社伝は、斉明期(656年)に八坂造の祖になった人物が新羅の牛頭山に祀られていた天王を勧請して祀ったことに始まるとしています。また、『紀』はスサノオが高天原から新羅の「ソシモリ」(曾尸茂梨)に降臨したと記しています。 ソシモリについても諸説ありますが、朝鮮語で「牛頭」の意味があったとする説が穏当だと思われます。牛頭が「最大の牛」を意味したゴータマ(釈迦の尊称の一)と関係することは明らかです。そして、スサノオが最初から牛頭天王と同一視されていたのなら、新羅からスサノオを再勧請する必要はなかったわけですから、牛頭天王とスサノオの習合を伝える蘇民将来はもっとあとに発生したものだと推定されるのです。 しかし、兄の一家を滅ぼした蘇民将来がスサノオであり、「蘇」民が再来した天武天皇と習合される要素は十分にあったわけですから、スサノオや蘇民を祀る古社や古寺は本来天武天皇を祭神にしていた可能性が高いと考えられ、藤原氏興隆以降は天武天皇に対する直接の祭祀が皇室内外で禁止されたとも考えられます。 蘇民将来は八坂神社の摂社「疫神社」に祀られていて、災難除け・厄除け・疫病除けを起源とする蘇民祭は、牛頭山の名前も、全国に残っています。裸祭として有名な黒石寺(こくせきじ。岩手県)の祭は蘇民祭です。 八坂神社は当初は、藤原氏が氏寺から国寺に昇格させた興福寺の支配下にありました。スサノオを抑え込みながらアマテラスを最高神に祀り上げた神話に基づく寺社に対する意識と構造が窺えます。 日本神話には道教的要素もありますが、東南アジア以外のいろいろな国の神話も紛れ込んでいます。スサノオのアマテラスに対する暴行からアマテラスが天岩戸から出てくるまでの有名な話は、ギリシャ神話との類似が顕著です。吉田敦彦氏による『ギリシャ神話と日本神話』(1978年 みすず書房)を参考にして、『ギリシャ周遊紀行』(2世紀中頃)と『紀』(本文)の粗筋を比較して示しておきます。
そうなると、ツクヨミがギリシャ神話の冥界の王ハーデスに擬せられたことも推定されます。ツクヨミは「月・黄泉」とも解釈できますので、「月と黄泉」あるいは「月の黄泉」から、夜の月と闇の黄泉の意味を併せ持った神として造られたものと考えられるのです。「夜見」の字も当てられるツクヨミは、夜に見られる月の意味の他に、ヨミの音に彼が治めた根国(夜之食国)のイメージを組み合わせた名前だったと考えられます。 さらに、根国は『記』で「根堅洲国」(ねのかたすくに)とも記されるのですが、カタスとハーデスに奇妙な共音感があります。人格神ではなく、神社に祀られた自然神(太陽神)のアマテラスはアマテルと称されましたから(『延喜式』)、デメテルとアマテルまたアマテラスを無関係と切り捨てるわけにゆかないのです。 スサノオ、アマテラス、あるいは他の神々や古い大王たちに比定できる人物が実在していたかどうかとか、遺跡から神話を実証できるかどうかは別の問題で、神話がより古い神話を無作為に収集したものではなく、操作・工夫されて作られたことを示しているのです。 『記・紀』神話や各地の風土記に残る神話がいつ頃成立したのかは、明らかではありません。しかし、神話における一つのハイライト、善性のスサノオが行った八岐大蛇退治の話は、『出雲国風土記』にはありません。 しかし、スサノオに与えられた役割や行動、また次項で述べるアマテラスとの対比から、
両者に共通するキーワードは、出雲、草薙剣、宗像三女神(宗像氏)、星辰(占い)、新羅、馬(馬子)、戦い、報いなどで、「蘇民」の名前は読み方を変えれば「蘇我の民」にもなります。 従来の研究ではアマテラスを持統天皇と考えながら、ほとんどはスサノオを単に神話のために造られた神として、天武天皇との関係を見過ごされてきました。なぜなら、加羅国からの渡来氏族(蘇我氏)の末裔だった天武天皇の実体がわからなかったために、スサノオが持つ様々な性格と対比できなかったからです。 だから『紀』は暗に、スサノオが持っていた草薙剣は本来天武天皇に祟るわけがなかったのに、天皇は哀れにも自分を守るべきスサノオにも見放された、と皮肉を込めて言ったのです。 |
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